第4回地震火山こどもサマースクールに参加しました。
8月2日と3日日本火山学会・日本地震学会・静岡県主催の「第4回地震火山こども
サマースクール」に参加させていただきました。25人のこどもたちと露頭(地層や岩石がでているガケのことをいいます)を観察
したり実験をしたり,とたのしい2日間でした。こどもたちと観察した太郎坊(たろうぼう=1合目)と宝永火口(5合目)のようす
をご紹介します。2003年8月2日 太郎坊のスコリア層
こどもたちが観察地点にむかって登っています。両側には富士山の過去3000年間
の噴火でふりつもった地層(スコリア層)がみえます。正面は富士山で,白い点は
残雪です。
スコリア層を近くから見たところです。テレビの取材カメラがみえます。
スコリアの上で説明を聞くこどもたち。みんな一生懸命です。小学校5,6年生と
中学1年生が中心です。
いちばん上のスコリア層の最下部(棒のいちばん上の部分)のへこんでいる部分
は,火山弾がとんできてできた「くぼみ」です。
富士火山の側火山である「かんす山」から流れてきた溶岩流です。
溶岩の最下部のクリン
カーです。2003年8月3日 「こどもの国」から待望の富士山が見えました。
富士山5合目から頂上をみたところです。なかなかない晴天だそうです。午後から
は,富士山は霧につつまれました。
富士山の表面をおおう「アグルチネート」という地層です。アグルチネートは,火
山岩のレキ,火山岩のかたまりや火山弾,火山灰からできており,岩石の温度が高
かったために,たまった後で,ふたたびとけて岩石どうしがくっついたもの。
溶岩流の断面が見えています。山の斜面にそって見えるのが溶岩流です。成層火山
の断面(内部)をみていることになります。
溶岩流の最下部です。
ガサガサの部分がクリンカーとよばれる穴の多い岩石の破片があつまったもので
す。粘りけのやや強い溶岩が流れるときに,溶岩をこわしながらすすんだためにで
きたものです。
写真の中央部そって,小さな丘が見えますか?この丘は,富士山にできた割れ目に
そってできたちいさな火山で,側火山とよばれています。雲がかかっている部分が
御坂山地(みさかさんち)で海底にたまった地層がもりあがってできた山です。宝永(ほうえい)噴火は,西暦1707年におこりました。噴火の49日前には,東
南海(とうなんかい)地方にマグニチュード8.4という巨大地震がおこり,はげし
いゆれと津波(つなみ)によって東海から四国にかけて,おおきな被害(ひがい)
をおよぼしました。1707年12月16日午前10時,南東側の山腹で噴火がはじまると,おりからの西よ
りの風により,軽石や砂が火口の東側一帯にふりそそぎ,たちまち麓(ふもと)の
村を埋(う)めつくしました。古文書(こもんじょ=むかしのことを記録(きろ
く)した本)によると,最初は白い灰が,つづいて軽石が降り,やがて熱い石が
降って落ちるとくだけて燃え上がったと記されています。火口東側の須走(すばし
り)村は,3メートルもの火山灰に埋まり全滅(ぜんめつ)しました。また,今の
御殿場(ごてんば)市から小山町にかけての村々も,とりかえしのつかない被害を
うけました。宝永噴火は,東のふもとの須走付近で2m,横浜でも10cmほどの厚さの火山 灰を
つもらせた大噴火でした。そのころ江戸に住んでいた新井白石(あらい はくせ
き)の日記 によると,この降灰(こうはい=灰がふること)によって昼でも「あか
り」をつけなければいけないほど空が暗くなった そうです。
富士山の南側。右側
の大きくへこんだところが「宝永噴火口」。右下の小さい山が,割れ目から噴火し
た側火山(そくかざん)。スコリア丘と溶岩流からできている。左上にもおなじよ
うな火山がみえる。つまり,富士山には南東北西の割れ目があるということを意味
しています。(静岡大学教育学部 小山真人教授原図)
宝永の噴火でできた火口です。火口の底の赤い丘は,最後の噴火でできたスコリア
丘です。いろいろなタイプの火山弾があります。左上の火口のふちには,溶岩流が
みえます。
![]()
宝永火口です。右肩の部分には,古い富士山(古富士)の岩石がでています。
噴火口の底のスコリア丘です。最後に小規模な「ストロンボリ式噴火」がおこった
ことをしめしています。
材木状の火山弾です。
リボン状の火山弾です。
紡錘状の火山弾です。
大きな火山弾です。なんに似(に)ていますか?
有核(ゆうかく)火山弾です。赤い石とマグマといっしょにふきあげられ,赤い石
のまわりにマグマの皮がついた火山弾です。
奇石博物館((財)石の博物館) 学芸部 北垣俊明さんから,「これは火山弾で
はなく、これは異質岩片が溶岩流上を転がってできた溶岩球ではないかと考えてお
ります。」というご指摘をいただきました。(2003.9.4)
![]()
宝永火口の溶岩流とそれを切るようにたて方向に貫入した岩脈(がんみゃく)で,
十二薬師岩脈群(じゅうにやくしがんみゃくぐん)とよばれています。